2018年4月6日金曜日

成績がぐんと伸びる生徒と伸びない生徒の差について~具体と抽象の狭間~

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こんにちは。キュウキュウです。
 ROKOHOUSE 様の「人生効率的市場仮説を提唱したい」を拝読いたしました。ああ、そういえばそうだなと思うところがありますので、今日はその記事の中でも、"勉強をする才能" について教育現場の視点から掘り下げていきたいと思います。また、この問題は一見関係なさそうな、「哲学」とも関係が深いと私はにらんでいます。ここでは哲学界隈で有名なクワス算についても簡単な説明を試みたいと思います。



クワス算

哲学の話題に明るい人なら哲学者「クリプキ」についてもご存じかと思います。クワス算はそのクリプキが提唱した思考実験(状況?)です。それはこんな状況です。ある生徒が足し算を理解しているかどうか調べるために、教師はテストをします。

1 + 1 = 2
9 + 8 = 17
34 + 12 = 46

うんうん。この生徒は足し算をきちんと理解しているな。しかし次の瞬間、教師は衝撃を受けることになります。

68 + 57 = 5

!?

そしていろいろとテストしてみることで、生徒は次のように答えました。

55 + 57 = 112
56 + 57 = 113
57 + 57 = 114
58 + 57 = 5
59 + 57 = 5
60 + 57 = 5

a + bのどちらか一方が57を超えた場合、その和がなんでも5になっていたのです!どうやらこの生徒が理解していたのは足し算とは異なるルール "クワス算"だったのでした。教師は生徒が足し算を正しく理解していないことがわかったので、彼に正しい足し算を教えることができました。めでたしめでたし。しかしこの話がやっかいなのは、上記はクワス算を発見できた幸運な例だからです。

この話は容易に一般化できて、
クワス算の演算子※を以下で定めます。

a ※ b = a + b (aとbのどちらかがNより小さいとき) or 5 (それ以外のとき)

上記の幸運な例は N が57という小さな数字だったから容易に生徒の誤りを発見できました。しかしながら、Nが大きな数だったら?N = 千、N=1万、N=10万・・・。

生徒が足し算を正しく理解せず、クワス算のような別のルールを理解している可能性は常にあるのです。


足し算の理解は具体から抽象への飛躍が必要!

 思うに、クワス算のようなことが考えられてしまう背景には、人は有限の事象から足し算を帰納的に学ぶしかないからだと思われます。小学校で習う足し算は常にNより小さいのです。無限の数は扱えませんから、せいぜい、5桁程度までの足し算を教えて、すべて教えた気になっているのです。5桁といえば最大は99,999ですから、その有限個の足し算(具体)から、抽象的な足し算ルールを学ぶ必要があります。しかし中にはクワス算のような変なルール(しかし有限個の足し算と矛盾しない)を習得してしまう生徒も論理的にはあり得ます。クワス算ではなく、みんなが共通して認識している(←本当はそれすらも疑えるが)足し算を、有限個の例から学び取るためにはあ、ある種の飛躍が必要であると考えています。そしてその飛躍の源泉は、身も蓋もないことですが、おそらく生まれたときから決まっていて、遺伝子に刻み込まれているのです。周囲を見渡しても、クワス算のように足し算を理解している人がほとんどいないのは、環境からクワス算を学んでしまった個体は、環境に適応できず、淘汰されていったのではないかと想像します。


クワス算は極端な例?

クワス算は極端な例で、哲学者の遊びでしょ?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、教育現場の最前線では、具体から抽象への難しさは常に意識されているのではないかと思うのです。例えば、 英語を学習中の生徒がおります。彼は次の文の意味を完全に理解しています。
He is a boy. 彼は少年です。
しかし、次の問題は解けないと言います。
「彼女は少女です」を英訳しなさい。(She is a girl.)
なぜ? She is a gril.を習っていないからだそうです。そして、彼は "She is a girl."を練習して完全に理解します。しかしながら、次の問題が解けません。
「彼女はグリーンさんです。」を英訳しなさい。 (She is Ms. Green.)
She is Ms. Green.を習っていないからだそうです。そして、彼は "She is Ms. Green." を練習して完全に理解します。しかしながら、次の問題が解けません・・・習っていないからだそうです。

そう、彼には主語+be動詞+補語の文法を抽象化して取り出す能力がなかったのです。また、上記文法の公式を教えられても、なお、抽象化して理解することができませんでした。そしてこの抽象化能力だけは、いくら問題を解いてみても鍛えることができませんでした。おそらく問題は無限にある問題パターンの内の1つの有限事象に過ぎないからです。やはりここにも具体→抽象への飛躍があるのです。そして飛躍できるかどうかは、今のところ、遺伝子で決まるとしか思えません。言わずもがなですが、抽象化能力の高い人はものすごい速さで知識を吸収し、応用することが可能です。しかしながら、抽象化能力の低い人は応用力も低いので、なかなか伸びません。あらゆる問題の詳細を暗記していく勉強はとても不毛で苦痛なように思われます。

語りえぬものを伝える努力をする

 抽象化能力が遺伝子に刻み込まれて、生まれたときから頭の中にあるものだとすると、それを言語化して、他人に伝えなければならない教育者とはなんとも不可思議な存在に思えます。「もしかしたら原理的に不可能なことをしているかもしれないな」と常に不安に思いながら、それでも、なるべくわかりやすく伝える努力を日々しているのです。

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